私、たまな。
最近、じょんに色々「助言」される。主に『姿勢』と『メイク』と『「じゃん」言葉』。
命令とか、押し付けではなく、あくまで
助言なところが、ぐぅ。

でもね、そういうのって、なかなか、なおせないものだよね。
「姿勢&じゃん」については、割愛。
さて、
じょんに「たまちゃん、眉毛をもうちょとはっきり描いても似合うんじゃない?」と言われた。
えーーーーーっ。
眉毛って、流行り廃りがあるし、こだわりの一品じゃない?すんなりと「そう?」とは言えませ〜ん。ごたくを並べて、やだなーというのを、アピール。
でも。
話が少々飛びますが、私が敬愛してやまない「おかあさん」と呼ぶ女性がいる。
おかあさんは、すごいの。
いろいろ「すごい」んだけど、そのなかの一つ、
とにかく、こだわりがない。お陰で、非情にハッキリした人で好き嫌いも激しいんだけど、ご主人の思いつきの暴言に、ゼッタイに逆らわない、・・・ように見える。
例えば、おかあさんが毎日やってるルーティンな仕事がある。フツー、自分のやり方が確立されてて、人に言われても、「このやり方がいいのよ」と変更しないような内容のことに、ご主人が思いつきで口を出す。
すると、おかあさんは「

これがいいのよ」と言いながら、翌日は、ご主人の言ったとおりにしてる。
別に、ご主人は暴君ではない。ただ、言い出したら引かないところは少しあって、時々、面倒だけど。
おかあさん、こだわりはないのですか?
「別に〜。お父さんの言ってる事なんて、全然、聞いてない。ただ、言われたからやってみただけ。」
一度、やだなって反発を抱いたものを、素直に受け入れ直すって、難しいと思うんだけど・・・・。
少なくとも、私は、苦しい。
でもね、私、自分のそういう「こだわりへの執着」に、ちょっと嫌気がさしてます。おかあさんのように、すんなり、こだわりをポイッてできたらいいのになーーーと、思います。
さて、話を戻すと、眉毛には、こだわりがある。
でも、
昨日、ためしに、じょんの言うようにしてみることにした。思いのほか、全然苦しくなかった。
じょんは、さっそく気が付いて、ご満悦。
じょんに気に入られるのは、もちろん嬉しい。でも、そのために、こだわりを手放したわけじゃない。
『とりあえず、やってみようかな』という、
妥協。
やってみれば、できるもんだ。なんだか、すがすがしささえ、感じてしまった。
私は、どーでもいいことは、ほんと、どーでもよく、すごく素直に「ハイ」と言える。
でも、こだわってしまうと、とことん譲れない。
「いや」(拒否)から「ハイ」(受諾)に移行するには、相当な葛藤と、心の切り替えが必要になる。
「ハイ」と言うからには、絶対に心からYESでなければ!!という覚悟をしないといけないという自己ルールが確立してた。実際、覚悟しないと、ハイと言えなかった。
そんなさ、白黒はっきりさせなきゃいけないよーなことじゃない。
にもかかわらず、そういう意固地さがある。
ちなみに「こだわり」というのは、いい意味じゃない。言語学者の金田一先生いわく、「つまらないこと、ささいなことに拘泥していては身動きができなくなるから、その執着は捨てなければいけない」というマイナスな意味で使われていた言葉。
譲れないものは、譲りません。でも、こだわりは、気楽に捨てたいの。そしてまた、気楽に拾いたいの。そう思ってる。
さて、眉毛ちゃん。今後もじょんのお気に入りバージョンが続くか、という点ですが、おそらく、いや、まちがいなく、元に戻る。ははは。
「とりあえず、やってみた」というのが、私にとっては重要なのです。気楽に捨てて、気楽に拾う。だからね。
眉毛を変えてみようと思ったとき、勇気を出したわけでもなく、おかあさんを見習おうと思ったわけでもなく、自然とそうなった。
それは、多分、いつもいつも心のどこかで「おかあさんを見習いたい」という意識があって、自分に刷り込んでいたせいなんじゃないかなぁと感じてる。
無理に自分を変えようとするのは歪んだ行為だけど、リスペクトするものに影響されていくというのは自然な流れな気がする。
良いと思うものを良いと
意識することが、最初の一歩なのかもしれないと思うのでした。